『さらば、ホンダF1』(川喜田研著)を読んでみた。

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遅ればせながら、第3期ホンダF1活動の顛末を綴った『さらば、ホンダF1』を読んでみた。洋書みたいなソフトカバーに洋書みたいなざらっとした紙を使った体裁で、あとがきまで含めると全253ページ(¥1,000/集英社刊)。

2000年のF1復帰の際のホンダの腰の据わらなさ加減には当時なんとなくすっきりしない印象を覚えたものだが、この本を読んでその辺の事情がなんとなくわかったかな。最後まで2時間すこしで読める文量だったが、この際、もっとつっこんだ内容まで踏み込んでくれた方がより面白かったかも。まあでも人は誰にでも立場というものがあるだけに、ここまで書いただけでも相当なものかと。

カジュアルなF1ファンとしてどうもよくわからなかったのは、“ホンダ”の内部の力関係とその理屈。F1復帰時に車体開発を含めたオールホンダ体制に反対したのはアメリカホンダらしいが、F1にあまり関わり合いのないアメリカ陣営になぜそこまで大きな発言権があるのかが見えにくい。ホンダの稼ぎ頭ということで彼らにそれなりに大きい発言権があるのは分かるが、だからと言ってなにゆえホンダ本体がやろうとしている本業とは違うモータースポーツ活動に口を挟めるものなのか。単純に考えると、アメリカ陣営にあまりメリットのないF1活動に会社の資金を投下されては、自分たちのアメリカでのモータースポーツ活動資金が減るから嫌だ、と、そういうことかな?

またホンダ本体といったときに、青山ホンダと栃木・埼玉技研ホンダは違うということらしいが、これも素人の自分にはわかりにくかった。ググったらどうやら青山ホンダと技研ホンダは別会社だということがわかったが、まあ、だとしたら第3期ホンダF1活動がこうなることはある意味必然だったのかとも思えてくる。本書には詳しい勢力分布の説明がなかったのでよくわからなかったが、端的に言えば、オールホンダ積極派が技研ホンダで、それに抵抗していたのが青山ホンダ、なのか? 最後の方で技研ホンダが全権掌握みたいなニュアンスになるので、多分そうなのかなと勝手に想像する。

で、結局のところ、そういった異なる意志を持つ派閥を束ねる人材というか、その人の旗本にになら誰もが納得して馳せ参じるみたいな人材がいなかった、と。そして複数の内部組織による綱引きの姿が第3期ホンダF1の姿そのものだった、と。この辺は外から見ている印象と一致している分、読んでみて尚更納得という感じ。

一方で、2006年にウイリスを更迭し、翌年惨敗という流れをリアルタイム見ていた時は、中本氏が悪者のように見えていた部分もあったが、この本を読むとそうでもない印象なのが意外な感じがした。

で、2年連続惨敗を喫し、にっちもさっちもいかなくなった末に、このままではやばいと気付いたホンダの集合意識が(あるいは中本氏周辺が?)ロス・ブラウンを招聘したものの、、、経済が壊れてハイおしまい、という。

ただし、結果的にブラウンを招聘したことが第3期ホンダF1の最終解になったわけで、しかもそれが正しかったことは(エンジンがメルセデスに変わったとは言え)今シーズンここまでのレースで実証されてしまっているわけで、となるとホンダ自身としては第3期に対する結論はもう出ているということになったりするのだろうか? つまり、「最終的に自分たちは間違っていなかった」、みたいな? 反省も何もない結論だが、もはやホンダがF1に戻って来ることなどあり得ないとするなら、それもまたよしなのかな~。

(以上、1回読んだ後の感想。)

しかしホンダに限らず日本メーカーのF1活動を見ていると、頻繁に「“何のためにF1を戦うのか?”という大義が見えない、分からない」、みたいは話に遭遇するのだが、そうした疑問自体、自分には良くわからない。

何のためかと言えば、それはどのメーカーだろうが、とにかくモータースポーツの中で最もステータスの高い、高級ブランドのF1で勝利することによって、自分もフェラーリみたいなブランド力を手に入れたいからだろうに。だからF1に来た以上、勝たないことには何も始まらないし、勝たずして撤退するくらいなら参戦しない方がまだましとも言える。そういう意味で第3期ホンダF1を眺めてみると、せめて1勝できたことは最低限の救いと言えるかもしれない。(と、トヨタにプレッシャーをかけてみたりして 笑)