F1:2012ヨーロッパGPでの可夢偉

再び可夢偉についての雑感。

今回は序盤4番手に浮上も、タイヤ交換が遅れて、その後ブルーノと接触。さらにマッサとも接触し、リタイヤを選択し、次戦で5グリッド降格ペナルティ、という結末。

気になるのは、レース後のインタビューで「タイヤ交換の遅れですべてが決まった」という主旨のことを言っている点。個人的には、うーん、そうなのかな~、と。3秒でできることが6秒かかったと。それでライコネンの後ろになったと。で、それで全てが決まった? どういう意味なのか?

掲示板のもろもろの書き込みを見ると、ピットで遅れなければライコネンの前でコースに戻った、だとするならブルーノとは接触しなかった、むしろライコネン接触していた、うんぬんみたいな論もあるが、これも意味がよくわからない。

現実として、ライコネンはブルーノをうまくかわし、可夢偉はウイング壊した、という揺るぎない事実があるわけで、そのライコネンは2位でフィニッシュ。可夢偉は選択的リタイヤ。

この結果の差が何を意味するのか、ということ。

あそこでブルーノの隣にスーっとマシンを入れて行った可夢偉はやや楽観的すぎた。
たとえが悪いが、2005年日本GPのスタート、琢磨の走行ラインを見ていた時、「ああ、これは1コーナーで接触するな~」と思っていたらその通りになったが、そのときのことを思い出させるような流れ。

ああいうケースでブルーノがおたおたするのは毎度のこと。
ならばそれを踏まえて追い越しを決めるのがプロのドライバーの仕事じゃないのかな。

だから、仮に「たられば」の話をするのならば、「あそこで上手にブルーノをかわしていれば3位表彰台もありえたね」、であって、「あそこでタイヤ交換に手間取らなければ2位だった」じゃないと思うのだが。

今の可夢偉は、思うように結果がでなくて空回りする悪しき日本人ドライバーの系譜の流れにはまりつつある状態。何が悪いかと言えば、「結果を取り戻そう」とする意識、かな。一言で言えば「焦り」。

取れるはずだった結果が取れなかったからそれを一気に挽回しよう、という意識、これは避けなければならない。
結果は積み上げて行くものであって、博打で大勝ちして手にするようなものではないわけで。

中国GPで予選3番手になったときも「まだ何も手にしていない」と私はtweetしたが、結果は案の定だった。
そして「グリッド上にオイルが……」、と。

F1ドライバーは新人時代のあまり余計なことを考えていない時代にどーんとどこまで行けるかが勝負だったりもする。可夢偉はその点ではそこそこうまくいけたと思うが、表彰台という呪縛に絡めとられつつある今、正にF1キャリアの正念場を迎えるこの夏、ということになりそう。

(蛇足だが、可夢偉こうなっている理由は言うまでもなくチームメートの存在にある。言い換えれば、ペレスはF1的価値観で言えば“優秀なドライバー”ということ。かつて将来の活躍を有望視されながらも、いつの間にかアイルトンによって日陰へと追いやられたデレク。同じ道を歩みたくないのなら、可夢偉は今一度、挑戦者の立場でのびのびと走れるよう、頭の中を整理するしかない)