Pink Floyd: Dark Side of the Moon 2016 EU digital vinyl vs. 1974 JP 3rd pressing

A1S2 / B1S2ですな。


Arizona Mikeの比較ビデオはご存知の通りで。

日本盤はわりとメタメタな評価。トレブリーかつ、ノーボトムエンドであると。そうかな?

https://youtu.be/9_LmDmaHNWI


そもそもめんどくさいことになったのは、3番目にオススメという30th盤が原因なのですよ。買いましたよ。そして聴いてみたところ、特にB面の後ろ半分がover saturated していて聴けたものではない。また盤も全般的にnoisy。これがDSOTMの限界点なのかと嘆息し、掲示板でdecent と取り敢えずの評価を得ている2016デジタルリマスター盤へ移行。


しかしこれもまたうーむな盤。十代の頃聴いていたのってこんなだったっけ?というくらい無感動。全然良さが引き出せておらず、なんかいらいらする。音量変えてみたりしたものの、違和感が大きくなるだけ。とにかくつまらない。聴いていてつまらないし苦しい。なんなんだこの音像の無理矢理感。違う。


で先日日本盤3rdプレス発見。おまけが完璧ではなく安いのが寧ろ好都合。音を確かめたいだけなので。野口さん一枚でオケというありがたさよ。


でね、もうね、これでいいです。


いや、上記2枚と比べたら天地だよ。ストレスなくどこまでも伸びていくナチュラルなサウンド。出だしのドクドク音からして立体感が2016とは異次元。Time冒頭のけたたましいベルの音のリアリティよ、家で一人で聴いていると恐怖さえ感じたあの音、それはこれです。


音の分離が素晴らしい。キーボードやギターソロが存分に堪能できる。ボーカルがやや言われればトレブリーなのはA面の最初Breathe in the Airだけ。AzMikeはこの辺までしか聴いていないんじゃないか。ミドルレンジは十分だし、バスドラのキックも申し分ない質感と音量。


音のスペクトラムがトラブルに偏っているとは感じない。だから音量を上げても聴覚バランスが崩れることもない。これでボトムエンド不足なら自分で足してくださいという感じ。


SACDではBrain Damage冒頭のギターイントロが強い印象を残す。そういうものだと思いそれをvinylにも期待して30thも2016もダメだと思っていたが、違った。JP3rdを聴いてわかったよ。そんな文脈じゃなかった、そもそも。Wholeで一つの表現なわけで。その視点から言えば、SACDはマスタリングの方向を間違えてる。知らないけど。


Eclipse は円盤の最内周に詰め込むにはキツいトラック。IDは不可避なわけで。これを聴いて30thが無茶してたこともよくわかる。円盤の物理的限界より理想のEQを貫いた結果があの敗北だよ。


まああくまで最高到達点を目指すならUKorig盤だろうし、UK4thくらいならそこそこお手頃価格だからそれでもいいだろうが、取り敢えず近年というか2000年代以降のリマスター盤よりはこういうAAA盤が強烈にオススメと言わざるを得ない。ノイズも最小限。さすが日本盤。


Billy Joel: Mofi vinyl vs. U.S. AAA orig vinyl of Piano Man

 WPの記事がアップされてから改めて議論が深まるというか混迷し続けるMofi debacle。で、WPの記者Geoff EdgersさんがMike 45とようつべで対談。あー、記者がこんなに早い段階で裏側をようつべで話してしまうというのはどうなのか。記事を読んだ人それぞれがあれこれ考える時間を持つことも大切なのではないか。なんでもかんでもすぐに種明かしすればいいというものではあるまい。Mike 45のチャンネルの視聴率アップに貢献しただけ。しかもWPの紙版は対談当日に世に出るというタイミング。記事についてSHMFであれこれ発言があるのは確かだが、それにいちいち反応する必要もあるまいに。まずはMofiに社会的責任?を考えてもらう時間を置くことが優先であって、個々の消費者の個人的都合はその次の対応。それが嫌な人は(既にいるようだが)訴訟を起こすという具体的アクションを取ればよい。掲示板に書き込むだけではね。その掲示板でよく言われているように、caveat emptor(購入者責任、購入する商品の品質を評価する責任は消費者が負う)のだから。

youtu.be

Geoff Edgers Washington Post on his MoFi Article and other Projects - YouTube

 

その対談に対するAz Mikeのコメント。

youtu.be

Live from The 'In' Groove 8/7/22 - Q & A - Ask Anything but I'm guessing we are only talking MOFI - YouTube

いやーこのスピード感、インターネット時代だねー。

 

 ところでこの前のここへの投稿でBilly Joel / Piano Man MFSL vinylを買った理由を「オリジナル盤がそもそもなかなかない、かつ高価だったため」と書いたが半分訂正だ。なかなかないのはそうだと今も感じる。しかし探すとあるもんだ(上の写真右)。そして高価ですらなかった。今回の盤は全てTravelin'表記でインナー付き傷なし美盤で¥1,000にかなりのお釣りがきた。

 そして音質だが、グルーブダメージまったくなしの盤が持つポテンシャルを存分に発揮。素晴らしいダイナミズムとリアリティ。これこそ70年代のAAA vinyl。Mofi盤の約10分の1の経済的負担でこれを体験できるのだから、わざわざデジタルヴァイナルに手を伸ばす必要がどこにあるだろうか? ということなのですな。

 Coplandを思わせるThe Ballad of Billy the Kidは初期の傑作アルバムを決定づける曲だろうし、同じくその流れにあるStop in Nevadaの伸びやかなヴォーカルワークは何度聴いても飽きないというか驚嘆を禁じ得ない。今更だが、Billyよ、あなたはすごいよ。B面最終曲Captain Jackではバックの高音とDレンジがインナーディストーション系歪みの一例になっているが、まこれはvinylというメディウムの特性なのだな。しかしそこにあってもヴォーカルは歪まないというこの匠の技のマスタリング/カッティング技術よ(アルチザンカッティングでほぼ初回マトリクス)。

 音とは関係ないが、Mofiは上端にバナーを入れる関係かジャケのアートワークが拡大されている。なので顔がでかい。ちょっと怖いよ。でそのMofi盤の音だがきれいな音、以上。という感じ。コンプレッションをかけていない或いはオリジナル盤比較でかるくしかかけていない・ゲインを抑えてダイナミックレンジ重視なのはわかるが、しかし結果的には特に感動のないきれいな(だけの)音、とでも言おうか。この方向性は80年代の頃から変わらないな、と。

 

●AADAとAAAAの違いは聴き取れるのかーの問題

 Mofi盤の場合、私含めその音に「ん?」と思っていた人は多数いる(掲示板の印象)。しかし「ん?」と思っても当のMofiが「アナログです(キッパリ)」と言うなら「そうかそうなのか」とならざるをえない状況ではあったわけで。だから「Audiophileとやらは結局音源の違いはわからないじゃん」という批判は的確ではなかろう。

 でも多分CD音源のvinyl なら誰でもわかるんじゃないかな。「CDと変わらないね」みたいな感じで。ハイレゾになってくると難しいだろうが、個人的にはデジタル盤は綺麗すぎる・聴いていて面白くない のがパターンかなとは思う。

 同時に、S&G BOTW OneStep(DSD256)に違和を感じた自分の耳は信じる。しかし、その違和感が「=聴き分けられる」証左とまでは言えないかな。聴き分けるというのは意識的能動的行為だが、違和感を覚えるのはむしろ無意識的受動的反応だろう。だから能動的解答を要求されるようなブラインドテストは無理だと思われる。

 あるいはその違和感は単にMofiのマスタリングチョイスへの違和感かもしれないわけで(それゆえにMofiに嵌まらなかったというのがより的確か)。


●個人的結論

 インフレとか日本の経済力の沈下とかいろいろあるはあるでそれはそれで人が経済的な面も含めて趣味にどう向き合おうがその人の自由だよというまずは前提があって。それであくまで個人的にちょっと思うのはもはや新リマスター盤を聴いている場合じゃないんじゃないか、と(買う時は買うけど)。デジタルかもなーな新盤の半分〜1/10の投資でAAA盤ですよ(70年代までのオリジナル〜リプレス盤。もちろんused)。生きている時間と投資できる総額には制限がある。だからデジタルリマスター盤1枚よりは、〜10枚AAA盤を聴くことが今は当為だな。ただしレコードの「積読」問題が生じるが。w

 

(付録)●DSDからのマスタリングプロセスって?

 前回も書いたが結局今もDSDのままのEQは容易ではないようで。あるにはあるが、みたいな段階。となると、Mofi等SACDではざっくり表すと

a. DSD ->アナログEQ->DSDキャプチャ->SACD

b. DSD ->PCM EQ ->DSD ->SACD

となるのかなと想像。aはDAC/ADC経由かー。bはPCM経由かー。いずれにせよ劣化はするが始まりがDSD256ならそれも無視していいレベルとかいう考え方なのか。どちらかとなると素人考えではデジタルドメインのままのbがいいかと思うが聴覚上はどうなのか。ただしDSD64始まりのMofi盤も多数あり。BOTTなど。

 

Vinylの場合だと

DSD ->アナログEQ->lacquer->vinyl

か。この場合DACが1回。DSD256からディザーしないのでこれだけ考えるとvinyl版のほうがSACD版より優位?


☆Vinyl のマスタリングプロセスは上記で正解でした。Tube ampを使っているというのは新情報。

 https://www.theabsolutesound.com/articles/mofi-president-jim-davis-on-the-companys-mastering-process


 

Billy Joel: His Mofi vinyl were also from DSD transfers.

Mofi Piano Man by Billy Joel digital vinyl

 このタイトルのクレジットには2010とある。Arizona Mikeの最初の主張では2015年以降はデジタルステップ含むとのことだったため、Billy Joelはセーフかと思いきや、さにあらず。Miles Davis, Bob Dylan, Billy JoelはすべてDSDトランスファーを使用。まあそうなるか。

 

 個人的にこれのMofi盤を購入したのはオリジナル盤がそもそもなかなかない、かつ高価だったため。状態の悪いオリジナル盤よりはこれでいいか、という妥協。で実際にこの盤を聞いて思ったのは「きれいすぎる」ということ。今思えばそう感じたのは適切な耳の反応だったかなと。なんというかAAA盤には雑味があるんだよね。ラフさが。音のバランスを整え切れてはいない雑然さ。ロウネス。音のリアリティ。

 Mofi盤はその辺が消失というか解消されてとても綺麗な音になる。丁寧に整えられた音。だから音がいいかと訊かれれば確かにいい。ただ(今言えるのは)その「いい」の意味はAAA盤のよさではない、っていうね。なのでさらにMofi vinylを買う方向には行かなかったそこからの10余年、まさかこのような展開が待っていようとは。Audiophileの人たちにとってはこの音がいい音なのか。だとすると基準というか求めているものというかが違うということになるな、私とは。

 前にも書いたと思うが、AAAの音を聞きたいなら70年代までに発売されたVinylを買えばいいのでは、と思う今日この頃。デジタルレコーディング盤を知りつつ。

 

 しかしこうなると私の中では希少性とか貴重さとか、そして経済的な意味でもDCC/AF盤の価値が上昇するな。AP盤も。相対的に。

 ついでながら、DSD盤Mofiが”いい音”なら、じゃあもしかしてSony JapanプレスのDylanも(上記のAudiophile的な意味で)意外にいけてたりするのか? とふと。

Confirmed: Mofi vinyl are digital (not all of them but probably most of them).

At this moment I just feel rather proud of myself trusting my own ears having been purchasing their SACDs rather than vinyl, if any, all these years. Also am feeling sad somewhat for I've just witnessed online. But, whatever.

 

youtu.be

Mofi vinyl is digital vinyl!? Is that so?

 

 

youtu.be

 

Regardless, I've never been a fan of Mofi vinyl. Now I think I've come to know why perhaps. My One-Step Bridge over Troubled Water sounded absolutely thin and digital. There I stopped buying any vinyl from Mofi. Well, it actually is just one of only three titles from modern era Mofi I own. Lucky me! Haha!

 

真面目に書いておくと、主張としては、「2015年以降発売のMofi vinylは全てデジタルステップを含む。つまりAAAではない」。以上。問題はaudiophileの面々は誰もがAAAだと思っていたこと。

 

 そこから様々な”問題”が派生してくるわけだが、音質面の話はややこしいのでとりあえず置いておく。個人的に思うのは、現在におけるマスターテープ由来のAAAの希少性。再生したらした分だけ、テープは劣化する。

 AAA Vinylを作るということは、ラッカーカッティング時に”ライヴ”でマスタリングムーヴを施すということ。作られてから何十年も経過しているマスターテープを使用してリマスター盤を作る場合、御大曰く、通常はマスターテープからフラットトランスファーしたデジタルデータでムーヴを色々試行し、納得できたら、そのムーヴを実際のラッカーカッティング時(マスターテープ使用)にライヴで施す流れ。ただしライヴなので、ムーヴに失敗したら、もしくは満足できなかったら、また最初からやり直し。その度にマスターテープの再生回数が増えていくことになる。

 デジタルステップを入れる場合、そのリスクは最小限になる。フラットデジタルコピーを作り、そこでマスタリングムーヴを施し、記録させ(デジタルはデータなのでいくらでも保存できるわけで)、それを再生してラッカーカッティングすればよい。この場合、マスターテープの再生はトランスファー時の1回だけでよい。

 つまりAAAの場合、マスターテープを劣化あるいは損傷させてしまうより大きなリスクを負ってレコードを作る、ということになる。そうした犠牲の上で、「100%アナログ」「ピュア・アナログ・サウンド」が成り立っているということに対して感じる希少性やその価値を理解できている私という存在への自己満足感や悦楽感が、デジタルヴァイナルからは得られない。だから-phileがつくような音楽愛好者はAAAの方を好む。

 そうした価値観を持っているからこそ、Mofi One-Stepに$125を払える。日本なら¥20,000~¥25,000くらいか最近は。希少性・貴重性への共通認識があるからこそ、中古市場で超高値がつき、結果、いわば資産価値もある。そこに大前提である共通認識を揺るがすような話が出てきたので、議論沸騰です。

 

 付け加えておくと、AAAであったとしても、マスターテープから新たに作ったダブマスターを使うこともあるようで、そこの舞台裏は末端の購買者には知る由もなく。

 The Beatlesの2014 Mono Vinylは真のマスターテープから直接カッティングしている(公開された情報を踏まえる限りはそう言える)。そしてその音質が誰もが納得するハイレベルであったこともAAA欲求に繋がっているだろう(個人の考え)。

 Kevin Greyは、「デジタルソースの場合、それをテープにトランスファーしてからカッティングすることが多い」、と以前(もういつのことだったか忘れた。彼がまだSHMFのメンバーだった頃か)述べている。もちろんこれはAAAではない。DDAか。

Michelangeli: Definition Series vs. EMI Classics

EMI Classics CD and Definition Series SACD

(CDの収録曲順でいうとRavelが先なのになぜジャケットではRachmaninovが上に来ているのかが謎だったので、ググったところ、オリジナルのHMV盤ではやはりSide OneがRachmaninov。)

https://www.silent-tone-record.com/?pid=149355148

 

 

 基本的にロック系を聴き続けてきた人間がクラシックに言及するなどおこがましいにも程があるというものだろうが、ここはただの個人の趣味の備忘録、音質についてなら誰だって感想くらい持つだろうということでミケランジェリ。付属のブックレット等でその尊顔を拝見するとどうしても銀河英雄伝説を想起してしまう一方で、聴けば聴くほどその精緻な筆致の曲想に感嘆を禁じ得ない。

 

そのブックレットの解説によれば、Ravel+Rachmaninovのこの盤はいくつかCDエディションが出ている模様だが、今回聴いたのはEMI ClassicsシリーズのTOCE-59054、そしてタワーレコーズ限定発売Definition SeriesのTDSA-215(WQGC-226)。

 

TDSAはタワーレコーズ店頭で試聴した最初の瞬間からその音質に深く感銘。ここではTOCEとTDSAのCD層をリッピングして再生、比較。

 

●インプレ

TDSAは比較すると(古さを感じさせないという意味で)現代的な音像。各楽器の音それぞれがクリア、セパレーションくっきり。Abbey Roadで一番広いNo.1スタジオでの録音風景が目に浮かぶよう。スタジオの持つリヴァーヴ特性がこの盤の音像の空間性となって現れている。Definition Seriesというシリーズ名に相応しい音の定義。音の輪郭がスムーズかつ明瞭で濃密。特にSACD層では、音の減衰のディテールが素晴らしい。ピアノ1音を構成する複数の弦それぞれの鳴りと減衰していく際の周波数変化まで聴き取れるかのよう。第2楽章のAdagio assaiの幽玄さは雨月物語の映像美の記憶とすら繋がる。1957年の録音にしてこれか。Abbey Road、流石。Living StereoシリーズのSACDを聴いていても思うが、当時の(今もそうだろうが)録音エンジニアはじめとする制作の人たちの音質に対する仕事倫理と言おうか、そのあくまで出来うる限り最高のものを作り上げるという仕事哲学には頭が下がるし、敬意しかない。当然、仕事人としての自分の身を振り返りもする。

 

もう一方のTOCEだが、発売は2002年で、ART(Abbey Road Technology)シリーズのうちの1枚。同シリーズのCDは手元にほかに何枚かあるが、音質重視の再発盤で印象はそこそこ良好という記憶が。

 

その音像はとにかく儚い。軽井沢にある古いホテルの人の気配があまりない食堂、ラウンジで聞いているかのよう。第2楽章Adagio assaiは自分の脳内にある遥か彼方の懐かしい光景の記憶の粒子の中に、ミケランジェリのピアノの旋律が埋没していくようですらある。そうした粒状性を感じさせるという点からも解像度はそれほど高くない、と感じる音像。もろくなり、所々にぽろぽろと欠落が生じ始めている遠い記憶。と同時に、いにしえの光景の中にときおりちらりと輝きを放つ瞬間が蘇るようなレイドバック感、がここにある。戻らない懐かしいあの日々との邂逅、そういう心理的フェーズにある日にはうってつけの盤かもしれない。自分の中に蓄積された累々たる記憶の重なりの中に深く包まれていくいっときの甘美。

 

●波形

そして周波数解析を見たらこうだった。

Adagio assai from TOCE

from TDSA

一目瞭然とも言える相違に驚く。TDSA(Definition Series)の波形の滑らかさは聴覚上の印象と重なる。TOCEではいったんほぼ音が消失した上での20000Hz周辺の強調が異形とも思える波形となって現れている。比較するとミッドレンジの持ち上げ感もある。非常に特徴的な音像印象はこうしたところに理由があったのかなと個人的には思う。もちろん、その関連をロジックで繋ぐことはわたしにはできないが。

 

●音源情報

このDefinition Seriesは音源が非常に明確に示されており、好感が持てる。以前ここで記事にした某エディションではそこが不明すぎて不信感が。どこにあるマスターを使い、どのような順番でデジタル処理をし、商品になったのかがきっちりとブックレットに記載されている。また、SACD層とCD層で別マスタリングという事実には賞賛の気持ちしかない。上に書いた職業倫理・哲学が継承され、貫かれている(と勝手に解釈している)こうしたプロダクツには個人的に共感するものが大いにあるわけで、そうなると当然、過去カタログが気になり、そして今後登場するであろうタイトルにも期待をしていくこととなる。