DVD『ノーカントリー』の字幕 その訳に異議あり、かも?

アカデミー賞が話題の昨日今日だが(ちなみに『おくりびと』には近親者がエキストラで参加していたりして、まぁ話題には事欠かない感じ)、先週末に久しぶりにDVDを借りて映画『No Country for Old Men』(邦題:ノーカントリー)を観たのでそれについて。

ストーリーについては人それぞれの解釈があると思うので、それは置いておくとして、ちょっと気になったのが字幕。特に後半の次の部分。

[97分30秒前後]
エドトム・ベルエル・パソの地元シェリフとの会話。(コーヒーを飲みながら)

●字幕
エド「部屋に金は?」
シェリフ「ポケットの中に200ドル」「カバンは犯人が」
エド「そうだろうな」「持って逃げた」

つまり200万ドルはメキシコ人ギャングたちが持って逃げた、と、そういうこと。でも、英語字幕を確認すると……

●英語字幕
Ed "No money in his room there?"
Sheriff "Couple (of) hundred, on his person." "Those hombres would have been taken the stash."
Ed "I suppose so." "Though they was leaving in a hurry."
となる。

最初にエドはかなり意外そうなトーンで質問している。

それに対するシェリフの答えは、ギャングの連中がwould have ...(~したんじゃないか)だ。だから、「カバンは犯人が」という断定表現ではなく、「カバンは持っていかれたかもな」くらい。

(been taken the stashはどうにも能動と受動の関係が逆転しているように思えてならないが、まあ、口語だからね。特にこの映画の場合は。)

そしてエドは「そうだと思う」と答えた後、「ただし、奴らはかなり慌てていたが」と続けている。Thoughの「~ではあるものの、~だが」のニュアンスがここでは大切。

もちろん日本語字幕にあるような「持って逃げた」ではまったくない。というか、そんなことひと言も言っていない。

このThough...のエドの発言からは、彼がやや疑念を捨てきれずにいる様子がうかがえる。シェリフの直前の発言も推測でしかないわけだし。

そしてその腑に落ちないというか、気持ちの踏ん切りのつかなさ加減が、犯行現場のモーテルへエドが一人で戻ることに繋がっているわけだ。

また、果たしてシガーが金を手に入れたのかどうかが、この映画の全体の印象や感想に影響する大きな要素でもある。そういう意味でもここの字幕はもう少し表現を考えてほしかった。

映画を観ているときは、細かな辻褄の整合性などはひとまず横に置き、とにかくストーリーの展開に集中しているもの。もちろんその最大の手がかりは日本語字幕だが、上の字幕だと観ている側としては、金は完全にギャングの手に戻ったのだと考えてしまう。字幕に文字制限があるのは知っての通りだが、もう少し表現を考えても良かったかも、と思ってしまうわけである。

しかしこの映画の英語、かなり興味深い。

上記の文法無視は当たり前で、他にもthey wereがthey was、doesn't がdon't、knowの過去形がknewではなく、knowed(これは初めて見た)と、中学校の英語テストなら全部間違いのオンパレード。凄いね~。

(追記)
今はなき月刊PLAYBOY2008年4月号(p.68)にて、この作品に関するコーエン兄弟のインタビューを発見。

イーサン「これは、この世界が無慈悲で、気まぐれだということについての物語なんだ」
「彼(シガー)は善悪を超えた存在なんだ。原作に明確に書いてあるけど、シガーとは我々を取り巻くこの世界の人格化だ。無慈悲で気まぐれなこの世界の」
ジョエル「そして、この無慈悲な世界に対する、トミー・リー扮する保安官の考え、理解が提示される」

とな~。