「自動車メーカーがモーターレーシングに貢献すべき理由」、って?

F1サイトの【STINGER】のブログの内容について、ちょっと感じたことがあるので書いておきたい。

「自動車メーカーがモーターレーシングに貢献すべき理由」と題された9/20の内容。
http://www.f1-stinger.com/stinger_village/yamaguchi_masami/2010/09/post-365.html



う~んと、、、上のリンク先の文中に「モーターレーシングから何らかの恩恵(宣伝に使ったり、参加したり)を得ようとするなら、貢献するのはバランスからして当然の義務」とあるわけですけど、これについては個人的にピンとこないかな。そもそも、ここでの「貢献する」っていう意味がよくわからん。

レースする、競争する、そこで気持ちが燃える、楽しいぞ、っていうのは人間の本能的な部分の話なわけで、基本は、クルマ使ってそういうことしたいっていう人間が自発的にレース始めたわけですよね。だから自動車メーカーの中にそういう気持ちを持つ人がいて、それで状況的にその自動車メーカーのリソースを使ってレースに出ることが可能ならばレースに出ればいいし、無理だったらそりゃ無理だから出ないだけのこと。レースって言うのは、何らかの公共事業的な意図でやるものでもないし。

それと「恩恵を得ようとする」っていうときの「恩恵」っていうのは、自動車メーカー内のレース好きの人たちが社内を説得する際の資料作りに「レースするとこんないいことありますよ」という意味で(本当はそこは主目的じゃないのに)それらしく書く内容のことなんじゃないのかな。宣伝に使える、っていうのはそれはレースに参加することから結果的に派生してくる副産物であって、別に本来の主目的じゃないよと。当たり前だが。

だから最初から「宣伝」が最大の目的で参戦するっていうのは、そもそものモーターレーシングの意義をはき違えているわけであって、まあ、お話にならないってことで無視しといて問題ないかと。なので、それに対する貢献が義務だのどうのというのも、当然ながらナンセンス。敢えていえば、最初から宣伝目的で参戦する人は、ほとんどの場合、どのみち退却するはめになるのが目に見えているので、バーニーとかからあんまり遊ばれないうちに、お早めにやめときましょうよってことかと。

で、レースに対する「貢献」ってものがあるとしたら、それは本能にうそをつかず、とことん真剣に競争に没頭する姿勢というか態度そのもののことなんじゃないのかな。要するに極端に言えばあとさき考えず(いや、現実的にはよーく考えるわけだけど)リソースをつぎ込んで、その結果として自然と競争がハイレベルなものになってましたよ、おい、みんな、すげーぞ、これ、っていうのが、まあ、貢献かなと思うけど。

ここでいうリソースって言うのは、根源的には、その、パッションとかそういう割と陳腐な言葉に置き換えられがちなものではあるんだけど、つまりは「ああ、俺、クルマでレースやりて~」という脳みその無意識の、と言いきれるかどうかはさておき、脳みその本能的欲求のことですね。すなわち、レースとは脳みその無意識の(あるいは本能的な)欲求の追求の形である、と。おー、書いているうちにすげー結論がでちゃった。w

だから、恩恵とか義務とか尊敬とか貢献とか「~すべき」とか、そういうことを考え出した時点で既にモーターレーシングの根本から外れちゃってる、勘違い入ってきちゃってる、と思うんだけどどうでしょうか。

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ついでながら、この話とレクサスが売れないとか人気ないとかいう話とは何も関係ないと思います。
レクサスが売れてないとしたら、それは今世界的に不況だから、でいいんじゃないのかいな。