尾崎豊はピュアだった。

4/28(土)夜の「尾崎豊 15年目のアイラブユー」をたまたま途中から見たので、その感想です。

いろいろな曲のライブ映像を見ていてまず思ったのは、当時リアルタイムで聞いていたときに尾崎豊に関して感じていたこととのギャップ。特に彼のステージアクション含むそのプレゼンテーション全般が、今の自分の視点から見て非常にパフォーマンスがかっているという点。

たとえば代々木オリンピックプールでのライブ(当時深夜に放送され、CMがカップヌードルで、そのCM曲がたしか「シェリー」。そのCMがその放送時1回きりの限定版だったとかで、あとからありがたがられた)での「15の夜」。イントロでボクシング(?)みたいなアクションが入る。当時あれを見たときは、あのアクションは彼の内面から突発的に生じる抑えきれない感情の発露みたいなものだと思っていたし、それ以外の曲のステージアクションもそういう解釈で見ていた。

今回見ていて思ったのは、ああいったアクションはすべて彼自身、意識的なものだったんだろうな、ということ。こうやってる俺ってかっこいい、みたいな感覚が透けて見えるような感じすらした。それを今の視点で見ていると、場合によっては笑ってしまうくらいパフォーマンスじみて見えてしまった曲もある。ただ、完全に「演技」という感じではなくて、もっと「はいってる」「いっちゃってる」、ロックのパフォーマーとしてどこかで覚えた姿と「一体化している俺、あぁこの気分、最高だ」みたいな自己陶酔感というかそんな感じがした。

そして、それでも彼の存在が陳腐になってないのは、やっぱり歌詞で描かれている世界観、その内容にマッチした歌メロ、それを支える歌唱力、そしてあのルックスが、そういった虚飾的な部分をはるかに超えたレベルにあるからなんだろうな、と。

そんななかで最後の最後、「アイラヴユー」の映像にはちょっと感動した。
胸をはだけてあいかわらずパフォーマンスしている尾崎ではあるものの、観客の女の子の歓声に迎えられ、そしてフルコーラスを女の子たちの声と一緒に歌う彼の姿はあまりにもピュアだった。白いシャツを着た尾崎は、ある意味、白馬の王子様。要するに「尾崎豊」ってこれだったのかなぁ、と思わずにはいられなかったし、歌い終わってからもやまない悲鳴まじりの歓声を聞いていると、若かりしあの十代の日々の――最も美しい形でどこかに残っているはずの――自分の記憶の断片が呼び覚まされるようで、とても切なかった。